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#平和キャンプ 済州島に行ってきました。


皆さんこんにちは、ぱんだです!
いつの間にか、9月になり修士も3セメスター目。
今学期は論文資格試験や予備審査を受けなければならないため、
今から喧々諤々としております・・・><

さて、私はこの夏休みの間に済州島にて平和キャンプに参加してきました。
例年は韓国人の友人が一人で企画立案をしていたようなのですが、
今年はなんと総勢7人であれこれ準備を進め、コロナに気をつけつつ旅立ちました〜!
今回は、その旅の話を掻い摘んでご紹介したいと思います。

キーワード:済州島国立博物館、江汀村、4.3事件、ダークツアー

Day-1 オープニングワークショップ。


ソウルから済州島へ旅立った8月6日、日本から来た者としてとても意義深い日でした。

75年前、世界で初めて広島に原子爆弾が投下された日。平和キャンプをスタートする日が偶然この日と重なったことに、不思議な感情を覚えました。
ワークショップは、旅の始まりの日ということもあり、「互いを知る」ことがテーマでした。

ペアを組んでインタビューをし、聞き取った内容を皆の前で発表しました。
事前に連絡をとっていた済州島在住の先生のご紹介のもと、3名の日本出身学生がワークショップに参加してくれました。

初対面ということもありなかなかぎこちないスタートではありましたが、各々積極的に参加してくださったので本当に助かりました。

また、韓国人参加者にとっても普段日本出身者と触れ合う機会が少なく、また日本出身者にとっても韓国に住んでいるからとはいえ、
環境によって韓国人と触れ合う機会が少ない場合があります。
私としても普段日本出身者と交流する機会が少ないので、それぞれにとって、とても良い場になったのではと思います。
(参加者のうちのお一人が普段お世話になっているブロガーさんだったと知ったときは心底驚きました!)

Day-2 済州を知る。


2日目は、「済州島を知る」をテーマに済州国立博物館や旧済州を観光し、夜にロールプレイング形式のワークショップを行いました。


済州国立博物館では、古代、耽羅国時代から現在に至るまでの済州島の歴史を学ぶことができます。
しかし、日帝期については平和公園がある意味その役割を担っているからか、割愛されていました。
済州といえば海女さんと蜜柑🍊ですが、土質的に農作にはあまり向いておらず、
温暖な気候を生かしたミカン栽培と四方を囲む海の幸に頼らざるを得ない事情があったことを理解しました。

旧済州観光で一番印象に残っているのが、観徳亭。四三事件の発端となった、1947年3月1日に起きた発砲事件の現場です。この事件では、済州市内で南北統一された自主独立国家の樹立を訴えるデモを行なっていた島民に対して警官が発砲し、6名が犠牲になりました。




ワークショップは、大学時代に授業で使用した事がある、著名な平和学者であるガルトゥング教授の
「ホオポノポノ」から着想を得て、オリジナルのテーマで行いました。

意見や立場が違う者の話を傾聴し、完全に理解をすることは難しくても、理解を示そうと努めることが大事なこと、
しかし実際には、それは結構難しい作業であるというジレンマを改めて感じたワークショップだったのではないかと思います。


Day-3 ”韓国の辺野古” 江汀村へ。


この日は、韓国の抱えるイシューの一つ、ガンジョンマウル(江汀村)に行きました。
この村は、まさに沖縄の辺野古のような場所。
活動家のカレーとミョルチ(仮名)の説明を受けながら実際に村を案内してもらいました。
カレーは在韓7年のアメリカ人宣教師で、来韓間もない頃は本土で平和活動に従事していたのですが、
江汀村(ガンジョンマウル)の話を聞くや、済州島への移住を決めたそうです。



江汀村では、韓国軍の海軍基地建設問題が現在進行形で存在しているのですが、
住民の過半数が反対票を投じたにもかかわらず、基地建設が強行されました。
その後も反対運動は続き、逮捕者が続出することもありました。
しかしそれでは前に進まないと、平和的な意思表示の方法を模索した結果が、人間帯(인간띠)という方法でのデモ行進。
毎日、曲に合わせて踊りながら基地撤退を叫び、海軍基地の前まで旗を持って行進します。

私はこういう場所に赴いたのが初めてだったので、少し緊張しました。






また、最後にカレーが江汀村と密陽市(原発がある街)の抱える問題について表現した作品が並ぶ展示会場に案内していただきました。
原発があることによって苦しむ住民の声。しかしその一方で、そのおかげで生活ができる人もいて、今やなくてはならないライフラインになりつつある。
最初は、単純に江汀村は沖縄と似ていると思うだけでしたが、密陽の市民たちによる作品を観ながら、
原発問題だって日本でも実際に起きていることで、単純な日韓の比較というよりは、どの国にも存在し得ること、
今実際に、韓国が抱えている、直面している問題であり、、、日本には日本の、この国にはこの国なりの問題があることを、
その国自身で片付けなければならない問題が多くあって、国の規模や人口、街づくり、
隣国とはいえ何もかもが違う中で比較をすることはナンセンスだということも改めて気づいた瞬間でした。

カレーによるイントロダクションはInstagramからご覧いただけます。(英語)

Day-4 4.3事件を巡って


済州におけるダークツアリズム(負の遺産をめぐる観光)の振興および
遺跡地の調査・記録をするNPO「済州ダークツアー」が企画催行するツアーに参加しました。
犠牲者の遺骨が眠り、またその歴史を伝える博物館が併設されている4.3平和公園、




椿の花は、四三事件の記憶の象徴。

当時隠れ家として使われていた洞窟(その中には植民地時代(日帝強占期)に神風特攻隊が事務所として使用していたガマも!)を巡り、








そして生存者の証言をお聞きしました。
生存者の証言についても、ピースストーリーのInstagramアカウントにアーカイブが残っています。(韓国語)

また、この日に宿泊した宿「수상한 집 (怪しいお家)」も、非常に意義深い場所でした。



家主であるグァンボハラボジは、7〜80年代に多発していたスパイ捏造事件の被害者でした。のちに、政府からの補償金で国家権力による暴力を記憶することを目的としたカフェ兼ゲストハウスをオープンしました。ハラボジからは建物の解説や当時の話を聞くことができます。
また、30年前までハラボジは日本(大阪)で暮らしていました。
グァンボハラボジに関する取材記事はこちらをご覧ください。

(日本語)

(韓国語原文)

 

Day-5 4.3事件を深める。そして旅の終焉

 

前日にお世話になったダークツアーの代表から、翌日(つまりこの日)に4.3事件の受刑者名誉回復再審請求裁判と、
行方不明者の犠牲者申請裁判があるから傍聴しないかと誘われ、行くことに。

人生初の裁判傍聴でした。

2019年、事件以来初めて、韓国国防部が公式的に謝罪をしました。しかし、ある意味当然なのでしょうが、
四三事件はまだ終わっていないことを、まざまざと感じさせられたそんな場でした。
裁判を傍聴し、遺族会のお一人のお話を伺う機会がありました。50代くらいの男性で、お祖父様が被害者だったそうです。
しかし、その事実を知ったのは、彼が大学に入ろうとするために取り寄せた戸籍からでした。
被害者はいわゆるアカ(韓国語ではパルゲンイ)呼ばわりをされていたので、子孫にまで差別が及ばないよう…戸籍に名前を載せなかったそうです。
それを知った彼は、ひどく驚き、悲しみ、遺族会として名誉回復再審請求に携わることになったといいます。
彼の口から何度もパルゲンイという言葉が出てくるのが印象的で、それを口にするときの表情が忘れられません。
被害者なのに、無実なのに、その後も差別的に扱われていた子孫の方が少なくなかったことや、
命からがら日本に逃れた人、それができずに留まった人、大阪の鶴橋が妙に済州島の雰囲気を醸し出している理由、
当時の様々な人の運命に想いを馳せ、話を聞きながら目に涙を溜めずにはいられませんでした。
同時に、在日コリアンもアカ呼ばわりされてきた歴史があり、そうでなくとも在日コリアンというだけで差別の対象なのは今も変わりません。
四三事件も、未だに終わっていない、過去のものではなく「今」もなお向き合わざるを得ない事件の一つなのだと知りました。

また、ダークツアーの代表に、日本から来た者として神風特攻隊の洞窟を見学できたことが非常に意義深かかったと伝えたところ、
大田(デジョン)にも日帝強占期の遺跡が多数残っており、12月には慰霊祭が行われることも教えてくださりました。
また、旧日本軍により南京への空襲拠点として使用されていたアルトゥル(알뜨르)飛行場も西帰浦市内にあります。

<ぱんだメモ>
.植民地時代、済州島にいた日本兵はおよそ7万人

.沖縄のひめゆりの塔との違い→ 純粋な被害者だけが祀られていること
(暴動に加わった政府側の人間は混ざっていない)

遺骨は集団であらゆるところに眠っており、発掘しきれず。(これは沖縄も同じ)



旅の集大成として、思い思いのファブリックポスターを作りました。

****

帰化済みの在日コリアンとはいえ、私も旧宗主国であった日本からの留学生である身。
幸い、私は周囲の人から歴史的なことで絡まれたり、喧嘩になったりしたことはありません。
ソウルは都会なので、不買運動の最中でも差別的な目に遭うことはなく、
優しい人たちに囲まれて有意義な日々を送れています。
しかし、それでもごくたまに、怖くなる事があります。
日本人として、歴史を直視することは必要だし、興味や知りたい気持ちもあるけれど、
日本人は私一人の中、このような遺跡地に韓国の方に混ざって説明を聞くことは、結構奇妙なことでもありました。
しかし、そんな気持ちを払拭できた出来事がありました。一緒に旅をしたメンバーの恩師が偶然済州島に居合わせ、メンバーはその方とお会いしたようで、その時に私のことも紹介してくれたそうで、
その教授は「日本から来た子がこのように韓国の暗い面も知ろうとしてくれるのがとても嬉しい」と言ってくださったそうです。
それを聞き、韓国に来て良かったと、韓国のさまざまな面をもっと知りたいと、純粋に思うと同時に、若干泣きそうになりましたw

ここまでお読みいただきありがとうございました!
是非、コロナが落ち着いたら、韓国内におけるダークツアーにも関心を持っていただけたら嬉しいです。

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liccapanda

2016卒社会人。2019秋から韓国の大学院に留学中。

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